JazzCafe/JazzBarのススメ 〜その3〜 『ジャズ「ライブ」について』

(※この、『JazzCafe/JazzBarのススメ』シリーズも「その3」まで来ました。過去の記事はこちら・・・「その1」「その2
今回で「とりあえず」の最終回(?)となるかと思いますが、何か思いついたらまた「その4」「その5」・・・と書いていきます)


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ジャズは「ライブ」で聴くのが一番いい。
いや、「ライブ」がなかったらもはや「ジャズ」ではない。
それほど、ジャズという音楽において「ライブ」は重要なものだ。


もちろん「ライブ」や「コンサート」はどんな音楽(クラシック、ロック、ポップスなどなど・・・)においても、とてもいいものだし、欠かすことのできないものだ。
しかし、やはりジャズこそ「ライブ」が良いのである。いや、「ライブ」の中にこそ「ジャズ」がある、というのが正しいかもしれない。


そもそも「ジャズ」という言葉は、元々「即興(アドリブ)」で様々な楽器を演奏する「演奏法」そのものを意味する。(注1)
だから、「この楽器を使ったらジャズではない」ということは有り得ない。
バイオリンでもウクレレでも木琴でも、「ジャズ」を演奏することはできるし、そういうアーティストが実際にいる。
どんな楽器を使ってもいい。ただ、頭の中から湧き出てくる「閃き」に従って、その場その場で演奏を変化させたり、新しいフレーズを作ったりしていくのがジャズだ。


だから極端なことを言ってしまうと、本当は「ライブ」の中にしか「ジャズ」は存在しない。
もちろんジャズレコードにも「名盤」と言われるものもあるし、ジャズの曲には「スタンダード」と言われる曲がたくさんある。
でもレコードの「名盤」は、つまり「レコーディングスタジオ(あるいはコンサート)で即興で奏でた演奏がたまたますごく良かった」から名盤(=何度聴いても飽きないもの)となったのだし、「スタンダード」の曲とは「みんなが良く知っている一定のメロディとコード進行を使って、その中で即興演奏を繰り広げる」ためにあるようなものだ。
つまり、レコードやCDで何回も聴く曲であっても、それは元々「一度限りの演奏(One-time Performance)」だったということである。


例えば、僕の好きなHerbie Hancockの「Cantaloupe Island」という曲がある。(前出Cantaloupe Island参照)
YouTubeで「Cantaloupe Island」を検索してみるとたくさんの演奏が出てくる。(検索
いくつかの演奏を見れば分かるとおり、ハービーはこの曲をいろんなライブで何回も演奏しているが、そのどれもがオリジナルとは全然違っている。つまり毎回(一定のコード進行に従って)「即興」で演奏しているのだ。
また、「Cantaloupe Island」をカバーして演奏する他のアーティストも、それぞれの独自の「味」を付け加えて演奏している。
もちろんハービーが最初にレコードとして世に出した「Cantaloupe Island」という曲は、「たった一曲のたった一度の演奏」であるにも関わらず、その「メロディとコード進行」が基礎になって、その曲は実に様々な形で、様々な楽器により演奏されるのだ。
これがジャズの面白いところである。


一方、この点で対極にあるのがクラシックであろう。クラシックではある曲を演奏する際、各楽器ごとに厳密にメロディや強弱が指定されている。しかも、録音機が存在しなかった何百年も前の作曲家が考えた音楽を忠実に再現してしまう。そのために曲の詳細が記された「楽譜」が残されているし、「指揮者」もいる。ジャズとは「演奏法」の特徴が全く違うのだ。
またポップスにおいても、アーティストのコンサートに行くと、CDでの演奏をほとんどそのまま同じ楽器で同じように演奏する(歌う)ということは多い。さらには、コピーバンドが容易に組めるように「バンドスコア」も市販されている。


一方ジャズでは、「楽譜」のようなものがあるとしたら、「コード進行」だけだ。
仮に、過去のジャズアーティストの演奏をそのまま忠実にコピーして演奏したとしたら・・・、それは「ジャズ」ではない(「ジャズ」とは言えない)のである。


かく言う管理人は、ウクレレを大学生の終わり頃から必死に練習して弾いてはいるが、いつまで経っても楽譜通りの演奏をするので精一杯である・・・。
多くのジャズアーティストは楽譜を一枚も持たずに楽器を見事に操ってしまう。もはや、「驚異」である。ジャズの世界は、すぐれて才能の世界かもしれない。ちょっと楽器を扱える人間に、「即興で何か演奏してみろ」と言っても、とてもできるものではない。


さて、話がだいぶそれてしまったが、本題に戻ろう。
ジャズは「ライブ」が命である。
だから、その「ライブ」をいつでも聴くことができて、しかも聴きながらお酒を飲むことも食事をとることもできる、「ライブ有り」のJazzCafe/JazzBarを僕は愛しているし、それがなくなってしまうと大変困る。
ただ、それが言いたかったのである。


【「注1」について、より学術的な視点からの考察】
フランク・ティローという音楽学者の著した『ジャズの歴史』という本がある。
その中でフランク・ティローは「ジャズの資料研究における大きな問題は、ジャズの音楽的な定義においても、様式的な定義においても、統一された見解がないことである。」としながらも、「ジャズの有効な定義」として下記のような定義を提案している。

(1)グループ、またはソロによる即興演奏
(2)合奏に組み込まれるリズム・セクション(通常3種の楽器によって作られる)
(3)シンコペーションをもつ旋律や、リズム形がよりどころにする等拍のビート・リズム
(4)演奏においては、ポピュラー歌曲や、ブルースの形式に基礎をおく
(5)旋律を構成するためにブルース音階を頻繁に使うが、主音のはっきりした、機能和声の組織をもっている
(6)ジャズを特徴づけるヴィブラート、グリッサンドアーティキュレーションなどの演奏上の特徴と、歌唱と器楽の双方にみられる音色上の特色
(7)作曲によって音楽を作るのではなく、演奏によって音楽を作っていく美学
(※一部省略)
 【出典:『ジャズの歴史 その誕生からフリー・ジャズまで』(第3章)フランク・ティロー著[訳:中嶋恒雄]、音楽之友社、1993年】

当ブログの「ライブ」に関する上記説明は少々乱暴だが、要は、フランク・ティローの言うところの(1)及び(7)の定義を「ライブ」に即して考えてみたということだ。

ジャズの歴史

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